指導をしていますと、
「あ、この瞬間内容は
完全に子どもたちに伝わった。」
と思う時もあれば、
そうでないときもあります。
小学生の指導で、
ああ、この後この子たちは
よほどのことがなければ
手がかからないほど
力をつけたな、と思う子は、
ほとんど放っておいても
良い成績を持続します。
これは、親御さんにとっても
私にとっても、ひいては
生徒たちにとっても
ありがたいことだと思いますし、
そのような状態を早めに
実現することが小学生期の
一つの目標でもあります。
繰り返すことによって
分からないことを分かるように
なった子たちの学びの力は
大きなものです。
それは、あまり苦労なく
ほいほいできるようになった
子たちの比ではありません。
ちゃんと苦労して、
できないことをできるように
なった経験、その過程で
身につけた方法こそが、
その後の子どもたちの学びを
支えてゆくものになります。
今年の小6は、ハッキリ言って
めちゃめちゃ苦労した学年でした。
しかし、1年前と比べて
平均点で80点上げたことは、
私だけの力ではありません。
みんなが頑張らなければ
これだけの上昇はありえませんでしたし、
だからこそ、授業が貫通するように
なってきたのです。
解説したら、片っ端から
解けるようになる感覚、
分かって公式的な考え方を
使いこなす感覚、
昔にはなかったことです。
思考力は、夏休みを経て
さらに高まりました。
中学に上がってからは
ますます加速するでしょう。
中学に上がってからの学びの方が、
道具が多い分楽だからです。
覚えることは確かに増えますが、
努力により乗り越えてきた子は
ますます力をつけます。
それは、上の学年である中1も
同じことです。
中1の子たちの中にはgiftedな子が
いますが、そのような子たちも
それぞれに中学受験期に
課題を持ち、解決してきました。
さて、指導者も、親御さんも、
子どもたちも楽になる勉強。
こんなのがあったらいいなと
思いますよね。
全てはここに集約されると
私は思っています。
まずは、毎日の学問が、
今日が明日に、明日が明後日に、と
有機的に繋がっていること。
量も時には必要ですが、
最も大切なのは、
授業を受けるときの集中力と、
そこで受け取った内容を
確かに演習につなげてゆこうとする
感覚です。
そして、一縷の隙もないほど
完璧に既習内容を詰めること。
一つたりとも分からないことを
作らないためには、
勉強中に覚醒していて、
目の前のことを叩きのめすことに
集中しきる演習が必要です。
このような学びは、経験的に
できるようになるものであり、
思いつきで勉強していても
絶対身に付かない習性です。
常に叩きのめすだけの
経験値を積むことによって、
その学習法が次の学びに
生かされてゆくのです。
ただ機械的に課題をこなすだけ、
それだけでは、没個性的な子どもに
育ってしまいます。
自分でなんとかしようとする、
ひいては自分のものにしようとする、
そして、それを個性にすら昇華する、
そのような連続的な学びと、
方法としての努力が存在した時、
子どもは一気に手がかからない
学習者になります。
できればみんなでいい関係を
築きながら、当然のように
好成績を維持したいですよね。
指導者に叱られるのは二流三流です。
指導者と対等であろうとする
学習者は本当に指導のしがいがあります。
超えてもらわなければ
意味はないのですから、
時には、叱る価値もないな、と
思う子もいますが、それは
よほど不義を働く子のみです。
能力によって、私はそれを
判断したりはしません。
失礼な人はのちに
その報いを受けるでしょう。
逆に、誠実である、というのは、
いつも後ろ盾を得られ、
得をする性質だと言えます。
あえて損をする人生とならないよう、
誠実な学び手を育てたいとも
考えています。
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