私は基本的にエネルギーがあり、
本当一日十数時間とか指導してても
別に大した問題ではありません。
そんな私を疲れさせた珍しい事件が
いくつかありました。
私は基本的にポーカーフェイスで
ほとんど叱ることはありません。
褒めることの方が多いです。
言葉でできるだけ説明し、
なぜそれが必要なのかを説明し、
言葉を介して意味を伝える
ということを、どんなに
面倒でもやってきました。
叱りまくって萎縮した子たち、
ビクビクした子たちに
主体性を持たせることは
とても難しいことです。
保護者の方の中にも、
もっと厳しく、もっときちんと、
と思われる方もいらっしゃったかと
思いますが、私も時々そんな
気持ちになりながらも押し殺し、
我慢のコミュニケーションを
コツコツとやってきました。
小学生相手にはほぼ
この厳しさを態度では表しません。
幼い子ほど真剣に語れば
理解してくれるものです。
しかし、夏休み最初の週に
私の我慢は崩壊しました。
だらしない全ての心を
一回規律を持って正し、
私が何を許さないのかを
示す必要があるほど、
夏休みは子どもの心を
緩めました。
全てを管理するほどの厳しい指導はもう
要らないと思っていましたが、
この学年は、私の丁寧に説明し、
理解させながら育てたいという
心をもて遊びました。
私は完全に中1、中2に怒っています。
夏休みは、お葬式のような雰囲気で
彼らの怠惰な気持ちと絶縁するため、
常時厳しく接することを
心に決めました。
長い時間です、休み時間に少しでも
憩いの場をと思い、流行りの
オセロもさせてましたが、
もうさせません。
わたしは怒っています。
堪忍袋の緒が切れています。
私が甘いと思っているのであれば、
それは間違いです。
私はこれでも完璧主義であり、
もともと、すごく気の短い方で、
しかし、専門的にそれに対応するために、
仏のように諭し続けてきました。
それは私の教育学的な学問の蓄積に
よるところでもありました。
理性が主観に勝らないような専門性など
存在しないからです。
だからこそ、
これまで、頑張っている姿もあって、
一緒の気持ちで前進してゆく、
そんな関係が築けていると思っていたのは、
一部の子に対しては錯覚だったのだと
心底がっかりしました。
私の我慢を崩壊させた代償は
大きいです。優しく説明しているうちに
自分を変えるべきでした。
そんな心の状態では
伸びる余地なし、と、
私は一旦諦めの心を持ち、
それが正されるまでは
この態度を貫きます。
成績が伸び切るまで、
お葬式は続きます。
楽しい授業というのは、
個人の努力が前提です。
いかに私が分かりやすく
教えようと、怠惰な子は
一生伸びません。
真剣にやって、楽しいと
思えるようになるまで、
厳しく接することを心に決めました。
言われて耳が痛いことを
延々と論理的に詰めます。
ダメなところを悉く
理解するのに足る時間を
共有してきましたし、
私はそこを含めて、子どもの
自主的な気付きのために
言葉による説明を続けてきました。
しかしそれを子どもは、
「指導者が甘い」と解釈し、
サボっていいと判断したのです。
私の優しさを甘さだと
勘違いした代償を支払うのは
相当な時間がいります。
しかしながら、
一旦締める時期としては、
時間に余裕のあるこの時期で
よかったかなと思っています。
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