国語の力。

今日の小学生の模試の中に言語論の
内容がありました。

母国語は「思考言語」であり、
他国語は「コミュニケーション言語」である
という内容でした。
その上で、思考言語が完成されてなければ
どんなに他国語を学んでも
効果は薄くなるという。
それは、国語を学んだ上で、
数学や科学、英語を学ぶべきだ
という内容でもありました。


確かに、言い分はよく分かります。
伸びる子は大抵国語ができます。
というより、長文読解で突拍子も
ない選択肢を選んだり、
記述をしたりしません。

よく諦めずに思考を詰めますし、
理解しようと努めるからです。

点数云々というよりは、
途中で考えることを辞めない、
意味を正しく捉えようとする、
そういう習性が見られる、
ということなのです。


模試の解答状況を見るときに
最も大切にしていることは、
解答を一つ一つ書いてゆく時の
判断です。

国語は特に、何を選んだか、
何を書いたか、どの程度
時間をかけてその解答を書いたか、
といったプロレスによって、
その子が何を考えたかが
よく分かる教科です。
ですから、模試の時は特に
その途中経過を注視します。
模試は、結果のみを見ても
見えないものがあります。


今回は、6年生がかなりよかった。
普段国語が苦手な子たちの中に
的確な判断がありました。
点数は文法でめっちゃ削られましたが笑、
総じて読解の判断がよかったのです。

5年生も、段々と芽生えが観察され、
やっぱまだ何人かは判断が雑で
これは普段の課題も雑に
やってるんだろうなというのが
分かりましたが、それでも、
毎週丁寧に取り組んだ子は
確かな解答の際の判断がありました。

4年生は、まだまだです。
しかし、「これでいいや!」と
雑に判断せずにしっかり読んだ
痕跡がある子も少しずつ
出てきていて、この学年はまだまだ
これから伸びてくると思います。
4年生段階での実力など、
さして問題にはならず、
問題に向き合う態度とか
判断が一番重要ですから。


一方で、理科の出来栄えはかなりよく、
夏休みに特訓した成果がしっかり
出ている子も多かったです。

しかしやはり、途中で雑に読む
傾向のある子は問題の読み違えや
答えの書き損じがあり、
粘り強さというか、丁寧さというか、
その点で課題が見られます。
知識よりも思考の精密さの面で
削られた感がありました。


思考の乱雑さがなくなること、
飛躍がないこと、など、
当たり前の論理的な思考を
積み上げる習慣が作れたか、
それが重要なのです。

国語の課題の取り組みが甘い子は、
間違いなく他教科に大きな影響を
もたらし、伸びない要因の一つと
なってゆきます。

言葉への向き合い方を鍛える
一環としてやっているのか、
ただの消化試合として
分かんない箇所の答え写して
やっているだけなのか。

意識の問題が大半ではありますが、
その意識のあり方によって、
その積み上げは50週、100週、
150週と重なりゆき、
綿々と差を広げてゆきます。


これは、中学受験には、
精神的な成熟が求められると
言われる所以でもあります。

言葉を、人とぶつけあった
経験の少ない、たとえば、
親の言いなりであるとか、
逆に、親が子に合わせすぎるとか、
あるいは親以外、友人でも先生でも
そうですが、まともに
一つの個としてディベートすら
成り立つという条件、環境で
過ごしてきたかどうかも
割と重要になります。


実はこれは、幼児における
言語発達の領域でも
同じことが言われています。

面白い事実です。

kojinkai

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