どこで学ぶかより大切なこと。

今の高校一年の話をしますと、
佐賀県一位の子は私立でも附属でも
中高一貫でもなく、公立出身の子です。

ショッキングにも思えるかもしれませんが、
弘法は筆を選ばず、賢さは環境を
凌駕して君臨します。

中学受験に熱心になりすぎると
逆に盲目にもなります。
自分は特別であり、賢いのだと
錯覚をするのです。

私立や附属にいる子も同様で、
そこにいるから賢さが担保されるような
錯覚に陥ることもあります。

学んでいるのは自分自身なのだという
当たり前の認識を見失ってね。

君は誰なのか?
君はどう生きているのか?

自分は〇〇だから忙しいとか、
あるいは自分は〇〇だから
優れているとか、どうでもいい
情報はシャットアウトして、
自分が向き合うべきことに
常に集中することです。

学問は見栄で行うものではなく、
むしろ、自己破壊のために行うのです。
自分を壊して新しい認識に
到達してゆく喜びが
学問の喜びです。

もう、どうでもいいから新しいことを
とにかく渇望する、その渇いた
欲求を私は求めています。

私立入学や附属入学がその
きっかけになるならそうしたらいい。
しかし、ただの見栄とか
ブランド意識からそうするのなら
目的を間違っています。

守るためでなく、壊すために
その環境を選ぶのだ。

その意識がないならば、
中学入試をすべきではありません。

kojinkai

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