身についてからが勉強。

「君たちはまだ勉強をしていない。」

中1の子にそんなことを
伝えました。

勉強には、概念的な定義もあります。
辞書的には以下の通りです。

1.
《名・ス他自》
無理にでも(=強)努力して励むこと。
2.
仕事に精を出すこと。
 「やあ、相変わらず―しているね」
学業・技能などを身につけようと努力すること。
 「数学を―する」
今後、事を処するのに役立つ、身にしみる経験。
 「今度の失敗は(いい)―になった」
3.
商人が品物の値段を安くして売ること。
 「せいぜい御―いたします」


私にとっての、方法的な意味での
勉強の意味は以下のように
定義づけています。


「身につけるために、問う過程、
解決する過程、覚えきってしまう過程を
終え、そこから
身体化するまで反復、
取り組み続け、その過程で
新しい視点を得るに至るまでの努力。」


つまり、覚えてしまうところまでで
終わっている子は、私は勉強していると
考えていません。

また、何も考えずに同じ問題を
正答し続けても、新たな視点が
得られていない子は、
やはり勉強そのものの価値を
得ていないものと考えます。


本来。


やればやるほど疑問は生じます。
よし、完璧だ!と思うことそれ自体が
間違っていて、逆に、
やればやるほど、新しい疑問が
湧いてきて、調べ尽くさなきゃならない
感覚に囚われる、くらいでないと
勉強しているとは言えないのです。


成績が中上位で止まる子の思考は
浅いのですが、それ以前に、
やり込み方自体が浅い。

問題集が全部正解するようになる、
なんていうのは普通繰り返していれば
必ず可能です。

割と成績が低い子でも、
正しく繰り返せば基本的にできます。

まず、その次元にいない、
という時点で、最早勉強の
入り口にも立っていません。
繰り返し方が甘いのです。

そして、それを超えて
全部解けるようになったとして、
そこからが勉強の始まりです。

新しい疑問を探す、
新しい視点を得る、
新しい知識を得る、
新しい自分に出会う。

そうなるまで、やり込む。

人と比べると、そこを
見失ってしまいます。
研究に研究を重ねた玄人は、
後に非凡な才能を開花させます。

人と比べる必要は一切ない。
孤高の研究者でよい。
学問の道は、自分で組み立て、
拓いてゆけばよい。


自分の考える次元を
一段二段上げてゆきましょう。

周りの人には、自分の真剣な
研究をもっても、自分が
劣ると思いますか?

一旦、比べる視点を捨て、
フラットに考えましょう。

周りの人たちの大半には、
努力で悠々と勝てますよ。
私から見れば、順位の30位や50位差など
大した差でもありません。

それより大切なのは、
自分自身の研究なのです。
私の定義するような
「勉強」なのです。

kojinkai

佐賀市の小中一貫学習塾 紅人会|kojinkai 公式ブログ