努力の芽を摘むもの。

小学生の努力は、
どこから生まれるのか?

色々なケースがあるので、
一概には言い切れません。

親の目を必要とせず、
没頭するような才を持つ子もいれば、
そうでない子もいます。

ただ、一般的には、
小学生は、親から叱られて
勉強を頑張るとか、
親から指示されて頑張るとか、
親から管理されて伸びるとか、
そういうケースは見たことが
ないです。
形式的に点数がある程度上がるだけで、
手がかかる、という点では
変化していないことが
多いんです。


私は点数によって評価はしません。
現に、今回小4で一番評価しているのは、
点数にしては一番低かったのですが、
素直で、努力の痕跡の確かに見えた
女の子でした。
今の点数はまったく当てになりません。
実力を超えてきたか、考えてきた痕跡が
きちんと見られるか、それだけが
評価基準となっています。
変化しようとした痕跡は
必ず私が解答の様子から
感じとります。
そもそも、現時点での点数差なんてのは
大したことはないですから。
分かってれば解ける問題に対して
いかに正答を量産できたか、という
指標にすぎません。
それより、日々の授業の様子からの
力量の変化がどれだけ捉えられたかが
重要だと考えています。
小学生はとくに。


子どものうちに失敗し、
第三者から指摘され、
素直に反省し、
適切な親御さんからの
アドバイスもある。


長い人生、失敗や反省があり、
人格形成が豊かになります。


一番悪いケースは、
親が放置するケースです。
あえて任せるのと、
放置するのとはまったく違います。

子どもが困っているサインに対して、
あるいは褒めて欲しいなと
思っているサインに対して、
どう対応するか?ということも
含めて、一緒に検証し、
より良い関わり方を模索できたら
いいなと私も思っています。

主体はいつも子ども。
これは、忘れてはならない視点です。

kojinkai

佐賀市の小中一貫学習塾 紅人会|kojinkai 公式ブログ