達観。

ずっと基礎練習を繰り返す中で、

かつての学習内容と連結させて、

高度なレベルで昇華しようと努められること。

基礎というのは、ただ間違えないというだけでなく、

一度それを見たときに一瞬のうちに

自分の中で様々な選択肢を考慮し、

使いこなせる力のことを言います。


基礎、というのは実際とても曖昧な言葉で、

生徒たちにももっとも本質的なところは

伝わりきっていないところがあるように思います。


やっている間は解けていても、

指導者から見ればまだ本当のところに

届いていないと思われるようなこと。


自分の感覚からすれば、もはや基礎というより

本当のところにたどり着く力と呼んだ方が

もっとしっくりいくように思います。


例えば、算数で52×3.75なんて計算があったら、

すぐにその式は156+39=195なんじゃないの?

と例えば指導者が思ったとしても、

生徒は闇雲にかけようとしますし、

いい感じに分数に直して計算する子もいますが、

例えば、3.75を3と4分の3に直して分配法則で

さっさと捌いてしまおうなんて考える、

余裕のある解答を見せる子はほとんどいません。

だいたい、156と39を足すにおいても、

とりあえず40を足しておいて1引こうとか、

そんな発想に立って解いている子も

そんなにいないと思います。

今中学生も含めて生徒たち全員にこれを

解かせようとすれば、今いる生徒たちは皆

なんか不器用そうにそれを解くでしょう。


面倒なことが感覚的な一瞬の判断によって

楽にこなせるような理解のことを基礎というと

私個人としては思っていて、どんなに難しいことが

解けようとも、なぜそんなに難しく考えてるのか?という

ことを解法から疑問に思ううちは基礎が足りていないと

個人的には思うわけです。


基礎というのは、実は暗記主義とか真面目とかと

もっともかけ離れたところにある、という仮説を

常に持ち続けることは欠かしません。

そして、指導というのは、それにいかに

気付いてもらって、いかに自分の学び方の

視点をあたらしくするかということに

重きを置くべきだと思っているのです。


一見面倒なことを、これ以上簡単にはできないと

突き詰めていく思考が備わっていることが、

要領の良さともいえ、学力とも言えると。

kojinkai

佐賀市の小中一貫学習塾 紅人会|kojinkai 公式ブログ