視野を深く持つ。

不登校、長期にわたるそれや、
断続的なそれを経て通塾した子を
何人か見てきていますが、
ある意味独特な視点を
こういう子たちは得ていると
思っています。

普通の子は、授業を履修して
ある程度知っていることも、
ほとんど無知に近い状態から
スタートします。

数年前は、中学1,2年をまるっと
不登校だった子を見ました。
その後、高校を1年半以上
上手く通えていない子を見ました。

結果的に、燻っていた時期を
覆すかのように勉強して、
多少妥協はしながらも、
行きたいと思えた学校に合格し、
それぞれに歩みを報告してくれます。

そういう子たちはみんな言います。
「自分のように苦しんだ子に
共感できる大人になりたい。」と。

わたしが直接指導できる時間も
そこまで長いわけではなく、
黙々と一人で知識習得に
向かう時間もそれなりにあり、
「習ってないから」と言い訳できない
環境下にも置かれて、
自分で、一定程度までは
頑張るのです。

しかし、壁にぶつかり、
どう理解していいのか悩み、
私に質問して、たったそれだけなのか、と
納得をし、理解法、習得法を学び、
変化を遂げます。

そして、来てよかった、
ありがとうございました、と
深々と頭を下げて
帰ってゆくのです。


勉強下手な子は、言い訳と
サボりが巧妙な子が多く、
ただ覚えればいいことに対しても
真剣ではない。

恵まれた環境にいて、
友人関係にも苦労していないにも
関わらず、とにかく、
日常的に触れる知識に対する
感性に乏しい。

自分でなんとかしよう、
こういうふうに変化しよう、
という意識が乏しい。


人の能力は、欠落の意識と、
貪欲によって、大いに
変化しうるものです。

やっぱ、変化しようという
感覚がない子は、
なかなか伸ばしがたいので、
気持ちの面を変化させるためにも、
ある程度、強制的に
そうせざるをえない状況を
作ることも必要です。


不登校しかり、塾からの課題しかり。
ただの怠惰は量によって
凌駕する。
実感として変化が感じられるまで、
正しい方法で量を与えることでしか、
漫然と生きてきた子の
感覚は変えがたいものです。

kojinkai

佐賀市の小中一貫学習塾 紅人会|kojinkai 公式ブログ