指導者の型。

優れた小学校教員は、
見えないルールを比較的多く
教室にしき、生徒に役割を与え、
意味ある秩序でクラス経営をします。

しかし、ルールは多ければいい
わけではなく、どう生徒に
あってほしいか?ということを
綿密に考え、よく引き算しながらも
緻密にルールが成り立っています。

無意味にルールが多かったり、
クラスの生徒の性質によっては
逸脱が際立ち、そのような子が
荒れたりしますから、
そこは、ルールを調整したり
先生が直に向き合ったりと
様々な方法をもって、
絶妙なバランス感覚で
クラス運営はなされます。


これが、わたしが教育学部で
学んだことをすごく抽象化した
考え方です。


学習塾においては、そこまで
深くクラス運営について
考えなくても良いです。

それは、基本的に生徒がわたしを
選んで通塾するからであり、
わたしのルールを守ることが
基本的に当たり前であり、
自然と受け入れられるからです。


むしろ考えなければならないのは、
学習方法についてです。

授業でのメモの取り方、
ノートの書き方から始まり、
情報のまとめ方や
算数の解の書き方に至るまで
生徒は自然と私の思考を
コピーしてゆきます。

長く通えば通うほど、
「この子は自分そっくりの
思考法をしている」と考えることが
とても増えてきますし、
そもそも、現時点、四捨五入すれば
40歳のわたしに近い次元で
物を考えている小中学生は
かなりすごいと言えます。


この辺は塾の文化ともいえるところですが、
特に算数の整理法については、
指導者の癖というか、考え方が
露骨に反映されます。


だから、他塾から来た子は
どう習ってきたのか?ということを
一旦は必ず見せてもらいますし、
基本的に(多分)きちんと教えてもらって
いるはずなのですが、
ついていけてない子は
悉く、自己流で、整理しようとせず、
脳内ぐちゃぐちゃのまま
理解せずに進めているのです。

そこを根本的に改善しなければ、
どこへ通ったとしても同じ過ちを
繰り返してゆくだけであり、
なぜ誤ったのか?ということの
理由を明らかにしながら
考え方、整理の仕方、含め、
完全にわたしを一旦コピーして
もらうところから再出発です。


癖がなく、かつ努力できる子は
本当に不思議なほど
5年夏から冬、あるいは
6年春までにぐっと開花します。

算数の課題提出を見ていると、
私は答えに下線を引いて、横に
チョンチョンと点を二つ打つのが
癖なのですが、小学生たちが
自然とみんな同化してゆき、
同じような書き方になってゆく
ところも面白くて。

狙ってやってるとこ以外も
似てきているところが
なんともかわいらしく、
ふっと笑ってしまうとこでも

あるんです。

kojinkai

佐賀市の小中一貫学習塾 紅人会|kojinkai 公式ブログ