個別担当の松井の方の
生徒さんの定期テストの結果が出揃った。
個別指導は、成績がどうしても振るわないとか、
時間が合わないという理由で作った
プレハブ的な位置付けの講座だったが、
今はもはやプレハブなどではなく、それもまた
一つの城をなしていると感じる。
新しく入塾したばかりの生徒の成績が
上がっていたらしい。
本人の顔がほころぶほどに。
まあそもそもそれまでの成績表をまだ
私は確認していないため、私にとっては
どれほど上昇したのかは子細に把握していないが、
「こんな短期に上げられるくらいならば、
もっと上がるんじゃないか?
だいたいまだ全力出したって感じでもないし。
ただ、人は一回ノると、もっともっとと
自分に要求したくなるものさ。
自分が望まないと何にもならない。
そうでなければ、また元どおりだよ。
君に欲があれば、あるいはね。」
と言うに尽きるのであった。
そしてこれは、ほとんど松井システムの
賜物なのである。
彼は私の3倍はマメである。
雇ったのは大学1年の時であったけれど、
その時から薄々感じていたマメさが、
大学4年になって指導の方法論として
開花しつつあるのを感じた。
集団指導の側にいる生徒は、
大抵のことは自分で解決する。
欲しいのは、授業中の面白い知識・見識や
叱咤なのである。
宿題など出しすぎると逆に調子が狂うから、
必要最低限しか課さない。
彼ら彼女らにはやりたいことがあるのだ。
それがたとえやや誤っていたとしても、
テストごとに修正を加えてくるだろうという
信頼関係がある。
この子たちはそれでいいのだ。
集団授業は、大抵私立や一貫校や
附属生、一般の公立生のうち、
中の上〜トップ層が相手だから、
必然的にそういう指導になる。
私は、自分で自分のことを真摯に
考えられない人間について、なんとなく
厳しくしてしまいがちだが、
松井はそこのところをうまくいなせる
優しさを持っている。
厳しい私と板挟みになりながら、
個別の生徒たちは成長して来たのだ。
3年かけて、本当に良いパートナーに
育ってくれたと思っている。
「後釜見つけておいてくれたら助かる」
と今日寂しく話をした。
「でも、大学1年ともなるとまだ甘いので。」
と言った彼にはなんだか笑ってしまった。
君も1年の時は私に怒られたりしながら、
やって来たもんね。そんな自分を振り返って
いるのかな?とも思った。
今年は、彼にとっても最高の有終の美を
飾って欲しい思いだ。
生徒たちは、彼に巡り合えて良かったと
私は思って欲しいと思っている。
アドバイスは、ただ一つ。
「お互いが楽になるように。
お互いが何をすべきか分かっている状態で、
気持ちよくお互いが過ごせるように。
お互いがこの時間を大切にしようと
思える時間を作れたらいいね。」
そういう言葉の元、彼にはほぼ全面的に
仕事の流れについては任せている。
そして、これは私が職場関係を考え、
講師を育成するときの哲学でもある。
今回は、その生徒の成績が上がったことで
その子の在籍校での松井の存在感は顕在し、
株があがることになったようだ。
彼は、彼の仕事で評価された。
そのことが将来の自信に繋がっていけばいいなと
そんな風に思っている。
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