本気を出していない子どもを見る眼差し。

 上手に手を抜いている人は、すぐに分かります。いや、自分は上手にかわせていると思っているのかもしれませんが、まあ、小さいテストの結果にしろ、普段の演習にしろ、上限いっぱい振り切れるほどやって突き抜けてしまうくらいのモノを常に望むのは難しいです。

 

 勉強というのにはモチベーションが大切です。好きだからやっている、程度の感覚では劇的に何かが変わることってほとんどありません。だからこそ、突き抜けた自分をしっかりイメージして、生活時間の全てをそこに注げるくらいの情熱がまずは必要なのです。しかし、それが難しい。だから、小さな学校というコミュニティで1位をまずは目指してみるというのが手っ取り早い目標となります。

 

 はっきり言って、ほとんどの子どもに1位を取る素質があります。ただただ、ほとんどの場合は言葉ばかりが先走って、学校では”割とできる生徒”のポーズをとり、塾では”真剣にやっている生徒”のポーズを取っているにすぎません。伸び盛りだな、今・・・と感じ、実際に結果がうなぎのぼりに上がり始める生徒は、毎週新しいことを知っていて、毎週何かが克服されていて、毎週私自身をも脅かすような気迫を感じます。それを感じられない生徒が、本気を出していない生徒です。まあ、常日頃から本気出してると暑苦しいですし、時には学校行事に燃え、趣味に燃えるくらいであった方が健全だとも思いますが、それでも、1位を取りたいっていう言葉を常にうわべで行ってしまうよりは、1回くらいそれを本気で取りに行って、喜びも悔しさも経験して欲しいと思うのです。

 

 何度も繰り返しますが、ほとんどの子どもに1位を取る素質があります。満点取れば1位だし、公立中ならば実際取れなくはないレベルなのですから、素質というよりも目指せる目標を持っていると言えます。

 

本当にそれが分からなかったこと、悔しいとか思ってんの?絶対何とかしてやろうって思ってんの?思ってないから未だに何も解決してないんだろ。

 

 毎週毎週同じことができない生徒に向き合うというのも、精神的に結構ガツンとくるものがあります。一週間が、また浪費されてしまった・・・と、取り組もうっていうテーマは決めていたけれど、もっと細かく指示出ししなければやらないのか、いや、指示出しをしたとして、それは誰のどんな意志に基づく成果なのか・・・いろんなことが頭を悶々とかけ廻るわけです。

 

 バランスが難しいのです。いろいろ考えが巡ったあと、やはり指示より言葉をかけます。受験生を相手にしている時は特にです。自分でなんとかした経験が少ないと、結局はまた何かに頼らないとできない自分というイメージ、感覚が払拭できずに、ズルズル金食い虫として、スネをかじりながら、指導者によしよしと頭を撫でられながら、ゆっくりとダメ人間が形成されていきます。

 

 確かに、結構勉強できる生徒が集まってきていて、指導をしていて緊張感や創意工夫をしなければという感覚に至ることは増えましたが、私のそういう努力が増えていくにつれて、生徒たちはもっとできるはずなのに・・・という手抜き感を覚えることも増えたことは事実です。

 

 そんな全体に蔓延る、まあ私が勝手にそう思っているだけかもしれませんが、そんな雰囲気を変えていきたいと・・・それが、塾としての二学期のテーマです。

kojinkai

佐賀市の小中一貫学習塾 紅人会|kojinkai 公式ブログ