学習に対する所感。

 中学生において、元の成績が振るわず、しかしながら大きく伸びる子はこれまで何人も見てきましたが、そういう生徒はもれなく、学校の教材では難しすぎたけど、塾とか市販の薄い教材を周回する中で一旦”できた”の実感を持ち、”これは分かる、これは分からない、だから次はこれを何とかする”という流れができました。この感覚の有無が全てです。

 

 上位の子は、たまにこれを”分かったこと”にできます。覚えるという技術に長けているからです。しかし、将来的にむしろそれが負債になることが多く、だからこそしっかり指導者が真を問い、議論してあげることが生徒の実力を確かなものにする側面もあります。

 

 だから、難しいのはむしろ上位層でも中の上程度でゆらゆらと飛行している生徒かもしれません。一般に200点もあれば西高には合格しますが、実際は200点くらいの生徒は結構怪しい。本当に学習内容が分かっていてその順位であるというケースは・・・どれくらいなのかな?類稀な覚える能力によってそれを担保しているというケースも珍しくはなく、実際いろんな振り回しの質問や唐突な質問に対して答える能力が欠如しているのもこのくらいの成績層には少なくはないのです。

 

 逆に、実力テストでは140点くらいの生徒でも、丁寧にちゃんと学んでいる子は不意に上位の子が答えられないようなことであっても、定義からきちんと説明できる場合があります。「俺はこの先はまだ勉強している最中だから分からないけど、その説明ならできます。」くらいな感覚で確かに地に足をつけて学んでいるような子です。この場合、絶対に上位の子はこういった子に負けており、点数だけで理解度は測れないというのはそういうことでもあります。ああ、この子は順繰り順繰り、次のこともその次のことも理解していくんだろうなって確信がある子は、実に力強いものです。

 

 分かってないのにそんな点数を取っちゃってる生徒をいじって遊ぶのが現在は仕事として多くなったので、まあそれにはいろんな工夫が必要とされることが多くなり、仕事としては従来より忙しくはなりましたが、本来やりたいいじりが出来るようになってきて、基本をいろんな観点から振り回して、いじくりまわして、深めていくようなことを面白いと思ってもらえるようになったら、私の受け持った仕事としては半分は成し遂げた感じです。ああ、これが本当に分かったっていう感覚なんだなって、器用貧乏な生徒たちに感じ取ってもらえ、学校の授業を聞く視点が変わっていったら、とりあえず8合目まで登りきったという感があります。

kojinkai

佐賀市の小中一貫学習塾 紅人会|kojinkai 公式ブログ