生徒の間で将棋が流行り始めています。
特にここ最近は小学5年生の間で流行っていて、
自分が好きなものにハマってくれるっていうのは
結構嬉しいものです。
「君は素質あるから、先生が今度時間があるときに
基本的なことから教えてあげるよ。絶対に強くなるから。」
私は熱烈でした。勉強もかなり出来る子達で、
多分この世代はほとんど中学部まで経て西高へ行くでしょう。
結構ゆっくりとした育て方をしている学年ですが、
私はこの学年はそれでいい、自分を見失わず、
自分で考えて取り組めるという強い子どもを
常に育てたいという視点を持っています。
休み時間も勉強の基本を教えろよ!(笑)と
思うかもしれませんが、将棋は
ものを考えるときに、一旦俯瞰してから思考する
良い癖がつくようになると思っています。
「将棋のように考えなさい」という例えが
通用するくらいになると個人的には良いですね。
変に「この問題はこの言葉がキーワードになっていて、
この相手はこういう風に整理して、たとえ解き方が
出会ったときには分からなくても、やっていくうちに
法則がつかめてくるから、まずは問題をくまなく読んで、
法則がつかめるまでやって見なさい。」とか、
面倒くさい長い説明をしなくて済むのです。
例えば、ピアノを習っていれば、「ピアノの練習の中で学んだように」とか
サッカーをしていれば、「サッカーの練習で学んだように」とか、
そういう例えが面倒臭い説明を飛び越えて
子どもたちの心に響くということがありますよね。
問題を解き始めるときに、いきなり意味不明な
脈絡のないことを書いてなんとかしてみるのでなく、
脳内のシミュレーションや類推と整理から始まる、という
思考は、私の思う賢い子像とも符号しており、
その思考感覚がゲームによって養われるならば、
どんなに楽なことでしょうか。
勝てそうだと確信できれば、
大胆な投資として大駒だって躊躇なく切れます。
行動というのは、”すれば良い”という風潮がありますが、
違うと思っています。
大胆な行動には、事前に準備をした思考こそが必要で、
必ずいけると確信しているからこそ躊躇なく前進できます。
ぜひ、人生の哲学的なものを構築していく意味でも
このゲームにハマってもらいたいと思っています。
もちろん、それは単なる教養の一部で、
本質的には学問を深めるという塾としての機能は
損なうことはありませんが、こういったゲームであっても
自分の将来に通ずる”意味”を感じる力というのは、
どの時代にあっても大切な感性だと思っているのです。
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