仏教の力に頼る、とは。

奈良時代を学習する小6の子たち。
聖武天皇がとった仏教政策について
学んでゆきました。

「仏教により国を治める」

という言葉は、実際現代的な目で
見ればかなりのパワーワードです。
今の時代の混乱、たとえば
昨今のコロナ禍や不況において、
「仏教を信仰すれば万事OK」
という思考になる人間は
ほとんどいないと思います。


もともとその数世紀前に
新興宗教としての
立ち位置で導入されたものですが、
渡来人派の一派により、
熱心に教えられ、
ほぼ国教化するにいたるのが
奈良時代からのことです。


答えのない時代において、
「教え」というのは
人々の心の支えとなったことでしょうし、
時代が混乱をしている最中においては
特に、でしょう。

その当時の人々の精神的支柱と
なったことでしょうし、
物理的に寺社が身近になったことは
聖武天皇の強引な政策も
噛んでいるかと思います。


さて、では宗教は意味がないのか?
この辺は好みの問題もあるかと思いますが、
よりよい生き方、考え方を
そこに見つけられるならば、
信仰生活はよりよいものに
なるかと思います。

私自身、宗教的な物を読んでいて
学ぶものも多いですし、
何か迷った時の判断基準にすることも
ありますので、肯定派に
寄っているとは思います。

ただ、日本人のほとんどのように、
冠婚葬祭のような儀礼の時だけ
ありがたがるような信仰で、
特に本質的な教理を学ぶことのない人間を、
神や仏が人を救ったり祝福したり
するとは到底思えませんが。


初詣なんか典型的ですが、
なぜ、努力もしない人が
神頼みして、神に認められると
思っているのか疑問です。

本当に困っている人、救われたい人が
全力で願っても、叶わないことが
大半なのに、自分の願いは
なんの努力もなしに叶うと
思っているならば、
願うに値しないと思いますが。


そんなことを考えながら、小6たちと
歴史に関する話をしていました。

kojinkai

佐賀市の小中一貫学習塾 紅人会|kojinkai 公式ブログ