久々にピアノのトレーニングのレポートを。
なんか不思議なくらい昨今時間が取れず、
合計で日に2時間くらいのトレーニングです。
扱っている曲は、
「アラベスク」(ブルグミュラー)
「バラード」(ブルグミュラー)
「タランテラ」(ブルグミュラー)
「サラバンド」(ヘンデル)
そして、自分の気に入った曲の5曲。
ついでにハノンとツェルニーも
すでに弾いたことのある曲を練習前に弾きます。
最近は左手の強化にとても気合いが入っており、
すでに丸をもらったアラベスクとバラードも
必ず毎日演奏をし、日中移動している最中も
曲を聴いてイメージトレーニングをしながら、です。
iPhoneには、「弾いたことがある」のプレイリストがあり、
聞くたびに”新しくここを改善してみるか”ということで
反省をした上で、何度も反復演習に取り組みます。
以前気付かなかったことも、自分の技術の向上とともに
だんだんと気付けるようになり、今は昔と比べて
一層自分は下手だと思うことが増えました。
しかし、いつも頭の中にあるのは、
(自分は確かに下手だと自覚をしているけれど)
こういった地味なトレーニングを10年、20年と
続けていく中で、絶対になんらかの変化があると
確信しているということです。
特に、幼少期から弾いている組から比べると
はるかに成長は遅いということは、instagramで
私がファンになっている小さな女の子の成長ぶりをみると
明らかなのですが、私は私のペースで成長を
していくしかないということを承知するには
十分な現実でした。
音が変だということは先生からも指摘を受けることが
でき、気づきのスピードはそれによっても上がりますが、
自分が自分で自覚できないものは、おそらくそこに到達するまでの
道程における自分の”気付こうとする意識”が欠落しているから。
本来は、指摘される前に気づかないといけないのにな、と
いつも反省はしているのです。
「どうやったらいいのかな?」
毎日毎日のように考えては、基本練習を繰り返します。
生徒たちには、こんな風に、今は自分で到達できていなくとも
自分の似たような意識を持って、学んでいって欲しいということは
常に思っていることで、昨年の6月から、
”できないことにチャレンジする”という意味で
ピアノをスタートした自分にとっては、
一体新しいことを学ぶ時に必要な態度とは何かということを
(これは、指導者が生徒をどう指導するかという視点とは
全く違った学習者からの視点ではありますが)
学ぶきっかけの一つになっています。
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