規則性の操作は、中学受験必須の
技術であり、中高の学びを支える
小学生時に完璧に身につけたい
テクニックの一つです。
考えて答えに導くのでなく、
答えに向かって考え方を
使いこなす、上振れた
力を育てる必要があります。
今週は4年生が、
先週は6年生が数列を
学んでいます。
数列はそれくらい、
経年で何度もテーマとなり、
少しずつレベルを上げながら
理解を深めてゆく内容です。
私自身小学生時に
中学受験テキストのはしくれを
解いていた経験がありますが、
指導者が解き方を教えてはくれず、
例題もなく、よくわかんない
問題相手にどうするか悩みました。
和差算もつるかめ算も、
特殊算系も全て、
解き方を教わりませんでした。
だから、全ての問題は、
代入や調整、書き出しによって
ゴリ押しで全て解答を作りました。
数列の100番目を求められれば
100個書きました。
数列の果てに367があると
するならば、その数に到達するまで
数列を書き連ねました。
私は今思えばまあまあ頭が弱かったので、
それをどうやったら法則ができるか?
なんていうことは考えられず、
とにかくゴリ押すということしか
できませんでしたし、その考え方を
中高に生かすことはできませんでしたが、
たくましさは養われたと思います。
しかし。
指導について、どこまでを並走、
どこまでを自立した思考と
見なすかは指導者によります。
私は、基礎事項はきちんと
教えてあげたい派閥に
分類されると思います。
なぜなら、それはハッキリと
中学高校の学びに繋がりますし、
繋がりを意識できた方が
学問をやっていてよかったと
思う機会に恵まれるからです。
解法を教えない、というのも
時には大切ですが、それは
道具をきちんと得てからの
話だと私は思っています。
私は、私が教わりたかったやり方を
源泉として指導を組み立ててます。
幼い自分に、こうあって欲しかった教育。
嫌いだった教科を、どう楽しめるか?
めんどくさかったことを、
どう法則化できるか?
発見こそ学問の喜び、
思考の変化は自己変革そのもの。
当時の私を指導した先生たちは
好きでしたが、その先生たちを
半分はしっかり否定する教育を
志しています。
半分、というのは、生徒の大半は
無理矢理にでも答えに
辿り着こうという気持ちもなく
書きだせば分かる問題にも
手を止めている子も時々おり、
そういうケースならば
教えることが逆に足枷に
なることもあるかなと。
なので、塩梅は重要です。
話はそれましたが、
数列の基本は書き出しです。
来週は総合テスト。
分からなければ、粘りのプレー。
期待しています。笑
分かって使いこなすに
こしたことはありませんけどね。
0コメント