今日は、佐賀清和の子も
弘学館の子も漸化式を中心に
指導を進めました。
数列は、数式操作以前に、
数列が具体的に認知されているかを
問うのが出発点です。
特に漸化式は、基礎段階の
式において、具体的にどんな
数列となるかが説明できるかが
ポイントの一つになり、
そこからいくつかの技を
習得してゆく流れになります。
具体認知から始まり、
形を自ら導いてゆく、
それができるようになったら、
さらに複雑なものを自分で組み上げてゆく
応用性までを知り、鍛えてゆく、
というところまでいきたい。
「こうあるべきだ」と思う方向に
自由自在に式を組み上げるといった、
結論から入り、結論に向かう思考は、
数学を学ぶ醍醐味です。
仮定と過程に誤りがなければ、
自ずと結論に結びつきますから。
そう考えると、
その後に続く数学的帰納法も
同様の着地点に至ります。
自然数1,2,3,...k,k+1,k+2...と
全ての自然数について成り立つ
命題かどうかを問うのが
帰納法の原理であり、
1,k,k+1だけ試せば
基本的には全ての自然数について
命題を満たすかどうかの
チェックができる、というのは
漸化式の原理でもあります。
どこまで学んだとしても、
特に高校2年くらいの内容ともなれば
最早既に習ったことを継ぎ接ぎしながら
証明に生かしているに過ぎません。
基本原理の理解と、結論イメージからの
突破力、両者がいつも噛み合っていて
初めて応用力そのものに昇華します。
そのためには、理解と運用を
的確に分けて考えられて
いるかどうかが大切です。
今日は久々に弘学館の子が
理由あって
休みが続いていて怪しいところが
あるというので長時間数学を
共にしました。
この子は下の学年の子たちにとっては
ある意味伝説になっている子ですが、
久々に1から教えながら、
畏怖を覚えるほどの飲み込みの速さに
笑ってしまいました。
小学生の時にはまだまだ
存分に才能を開花させきって
いなかったのですが、
当時得た思考法、進学後に
学んだ体系的な知識、
持ち前の要領の良さ、が
絶妙にマッチングして、
ここまでの存在になるとは
驚くべきことです。
とはいえ、やっぱり当時と変わらず、
分かんないことは率直に聞き、
分かったら笑顔でとっても
充実して帰ってゆくのは
この子らしいなと、
年齢を重ねても変わらないらしさは
健在です。
私は、新しく通塾希望のご面談の際、
親御さんにもよくお伝えします。
当塾は、大変童心のまま育つ子が多く、
競争慣れしていないというか、
そういう意味でメンタル的な部分に
心配を感じることもあるんです。
もっと締めた方がいいのかな、とか
数字をガンガン出して
圧をかけた方がいいのかな、とか。
しかし、分かった!ってなった時の
表情が小学生の時から全く変わらなくて、
どんなに思春期を経ても、
びくともしないといいますか、
私から言わせてもらうと、
純粋に知を愛する
かわいい弟子なんです。
目標を持つ、目的が芽生える、
そのタイミングで人は必ず
変化をします。
そのタイミングは、受験かも
しれないし、社会人になってからかも
しれません。最早、生涯学習は
人生のテーマともなる時代。
だからこそ、消耗して飽き飽きする、
どこかでやめてしまうためにやる
学習よりも、きちんと自分のものに
する精神や方法、また、
身につけることそのものの面白さを
分かって、絶対何かを成し遂げたいと
思った時に助けになるような
人間性を育てたいといつも思います。
ひいては、そうしたいと願う人を
快く助けてほしい、と。
負けないのではなく、
勝つべくしてナチュラルに
労苦を厭わず、勝つ、いえ、
人のためになる、といいますか。
世界を取り込んでゆく力を。
最後は、その知識がだれかのために
なるということ、その知識を
誰かのために伝えられるということ、
それを見据えて、やれたらいいな、と。
先日私は横須賀に旅して、
戦艦三笠を見て、東郷平八郎の
伝記のようなものを買って
読んでいたんです。
東郷平八郎なんていう名前は、
小中学生には、日露戦争で
バルチック艦隊を破った
すごい人、くらいにしか
認識されませんが、
彼は留学しては外国人の中でもまれ、
帰国後も外国かぶれだと
からかわれながらも、
常に努力を続けてその才を認めさせ、
異例の大出世を遂げた人物です。
読めば読むほど、彼ほど愚直で、
知を愛し、国を愛し、
信念に生きた人はなかなかいないと
評価を新たにしました。
もちろん戦争はしないに
こしたことはないんですが、
その時は時世的に必要だったから
仕方ないのかもしれません。
しかし彼は今の時代に生きていたら
やはり上り詰めていたかな、と。
指導者として、というより、
私自身、いち学習者として、
技術や知識以上に
哲学的な部分に磨きを
かけていかなければならないという
思いになっております。
伝わることが、
知識以前のものであってほしい。
根本的な部分に影響を与えたい。
そのためには、私自身
もっと変化しなければなりません。
私の人生も、正の等比数列的に
(もちろん指数の底は1より大きく笑)
成長してゆくものでなければ
ならないなと思いながら、
漸化式を教えていたという
今日1日の出来事でした。
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