止まっていた時間。

黄昏時、という言葉の意味を丁寧に説明する

心理学の先生が大学の時にいた。


精力は衰えているが、まだ余力を残した

滅亡に早い時、という比喩にも

使われるその言葉に、改めて私は心酔した。


私の夢は大学の2年の時には終わっていた。

学校の先生になりたいと、あれほど、

思っていたのに、そう思えなくなった。


子どもは好きなままだったけれど、

職業を夢としていきてきた自分には

その本質的なところが分かっていなかったんだろう。


私の夢はまさに黄昏時であり、

だからこそ、その時から詩に走り、

大学も休みがち、一人ドライブして

どっか行ってしまうような

時間を過ごしたのかもしれない。


やるべきことがスッキリせず、スイッチが入りきらず、

生き悩んでいた時期がいつだったかといえば、

まさに大学2年〜大学院1年の間だったのかもしれない。

大学まで実に真っ直ぐであったのに、

不思議なものだったよ。


自分にはそんな時間があったから、

今夢が見つからない人を相手にした時に

特別な感じもない。


そういう時は、新しいことをいきなりしなくてもいい。

ただ止まっているというのも悪くない。

その時にやることは、しかしながら大切なんだ。


美しいものを見て、美しい文を読み、美しい曲を聞き、

気が乗れば表現をしてみること。


感傷は人を豊かにする。

自分が傷つくことなしに、

自分の内なるものを引き出すことは

なかなか難しいものだ。


みんな挫折の一度や二度あると思う。

子どもにも、そういう機会の一度や二度

必要だったりするよ。多分。

kojinkai

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