今日は、定期テストを控えた中学生からこんな質問がありました。普段から週テストでもなかなか得点が思うように伸びず、どうしたらいいのか、ということでの質問でした。
まあ、国語が苦手だという時には様々なタイプが考えられますから一概には言えないのですが、割と多いミスのタイプについて、今回は論説文をテーマに紹介していきます。
例えば、記述などでよく起こる、何を書いても答えにバツがつけられて返ってくるというタイプのミスが多い生徒さん。穴埋め病に取り憑かれていて、それっぽい箇所を抜き出すので精一杯になっていることが伺えます。特に、「これはどういうことか」という言い換えの問題で減点が顕著な傾向があります。指示語や接続語は間違いません。要旨も大抵は読み取れています。だから、点を落とすとすれば、換言。つまり、”同じ意味の文を分かりやすく”の意図をつかめていないということです。数学でいう代入なのですが、別の言葉になると違う意味に思える、そういう意味では”抽象化”の能力も不足しているということになります。
そして、そもそも抽象化ができていないということは、謎の解法を編み出し、「指示語はとりあえず前に書いてあるちょうどいい文を見つける」、「要旨は最終段落だから、最終段落だけ読む」とか、そういう感じで捉えてきているのでしょう。文章は、確かに結論に向かって進んでいくから、最終的な結論は最終段落だけ読めば分かったつもりになりますが、筆者の理屈を全て踏まえて理解したことにならず、記号的に文を読んでしまっているのです。
話題がこれだから、一緒に考えてみよう。筆者はこういうデータを出してきた。そのデータからこんな理屈で、こんな結果を導いた。この結果から、筆者はこう結論づけた(ただし、その真偽はまだ不明。言いたいこと言うために道具を用意しただけで、議論の余地あり。どの程度信頼できるかな?批判の余地はあるだろうか?)。こんな流れで、各項目ごとに、話題が何で、データは何で、結果はどうで、それをどう帰結させたのか。少なくともその分類の目を持っていくことで、読み方は変わっていくでしょう。
つまり、初めから結論を言うためにどんな論理を組み立てるかということはほとんど決まっており、そのデータの出し方も、現状の数値データか、過去との比較か、似たものとの比較か・・・と決まっており、そういう概要的な俯瞰した目を持てれば、読み方が変わってくるということです。その意味で、論説は説得の技術の塊であると言えます。
話題が出た時点で、「どんなデータでくるかな」っていう攻め調子で読み解いていければ、良好でしょう。哲学的な文章になると、抽象度が増して難しくなるので、自分で具体的なレベルに落としていく知識が必要になったりすることもありますが、そうでない普通の論説については論調が一定なので、分類の目を持っていきましょう。
指導はやはり、文章の各段落がどういう働きをしているのかという各論をしっかり理解することが先決です。大雑把に文章を読まず、何を目的としてその文が存在するのか。個別に捉えていくような技術的な目が、文を読む力を鍛えていくことでしょう。
0コメント