中学生こそ俗世間から隔絶を。

学校は存在すべきか?
公教育論でよく語られることですが、
公教育は、つまらない俗世間から
断絶され、極めて学問的なことに
集中できる環境を得るための
一つの機関でもあります。

ゲーム、スマホ、youtube、マンガ、色恋。

今必要でないことが、
さも彼ら彼女らの最優先事項のように
公教育に侵入している事態を見て、
我々塾業界においても、そこから
いかに脱却させるかが
大きなテーマとして
掲げられることが少なくありません。

次元の低いことに対して
熱心に悩む姿を見ると
個人的には残念に思いますが、
例年それがテーマとなってしまうのは
私の指導力も要因の一つと
なってしまっているのかもしれません。

この時期は、難しい小説や
哲学にも手を出し、
地図帳や資料集を見て熟考したり、
面白いことはいくらでもあるのに、
安易で他人任せなことにほど
関心を持ってしまうことが
いかに残念なことか、
子ども自身が気付いてはいません。

自分が!自分が何を考え、
何を自分のものとし、
何を作り上げてゆくか、あるいは
何を通して自己実現しようと考えるのか!
そこのところを履き違えてしまうことが
いかに損失になるか、
分かっていないことについて
何度も問い質さなければなりません。

小学生の方がよっぽど健全だと
幾度となく思ってきましたが、
それは私が中学生に対して
ある程度自立しているかもと
手を緩めてきたからかもしれません。

だから、私は変わらなければと
強く思います。

kojinkai

佐賀市の小中一貫学習塾 紅人会|kojinkai 公式ブログ