先日、小学生と、養老孟司氏の
随筆を読んでいました。
学び論?といった、彼によくある
テーマの内容でした。
答えがすぐに与えられる環境では、
人は考える機会を与えられず、
自ら成長している実感も得られない。
そのようなものは学びではない。
といった内容でした。
もっといえば、自ら問いを
持てないような学びは、
いくら真面目であって、
指導者の言う通りにしていても、
世界はそれ以上広がらない、と。
分からない、というのは
いつもチャンスであるのに、
すぐにまとめを参照して
写してしまったり、
解説を読んでわかった気になって
解き直してみることを怠ったり。
メタ的な理解をすっ飛ばす、
自分が何を解決したのかを
言語化する機会をすっ飛ばす、
提出ありきな課題のやり方を
している場合、大体失敗するという
典型的な話だったなと思います。
形式主義的な、方法主義的な、
短絡的な発想で、その問題の
パターンだけなんとか
解ければいいと思っていると、
必ず次の次元の問題は解けず、
つまずいてしまうだけでなく、
思考の糸口すら掴めません。
だから、ある程度基礎が固まったら
優れた問いを持つ応用問題に
挑んでみるべきなのです。
優れた問いを持つ問題集は、
子どもたちの思考の次元を
段階的に丁寧に引き上げてくれます。
良い問いに出会うのは、
良い思考に恵まれる機会です。
問いというのは、
一問一答的に短絡的な答えを
与えるものもあれば、
本質的な理解、出来てますか?と言う具合に
理解の深度を測ってくるものもあります。
よき良問に出会う機会を与え、
向き合う時間を大切にしてもらう。
それもまた、塾の仕事かなと
思っています。
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