君たちの平凡な成績は、
実に平凡な毎日の連続の帰結に依るということを知れ。
今週中3用のホワイトボードに書いた言葉です。分からないこととか、与えられたことを完璧にする時間が、到底塾に来ている時間で終わらない量で設定しているのが現状です。しかし、塾に来て演習をスタートする段階で、何一つ自宅で進んでいなくて、塾にさえ来て勉強していればなんとかなるくらいに思っています。甘いんじゃないでしょうか?
君たちの時間が、何者かに強制され続けて、依存し続けて伸びる時間であったら、君たちは高校へ行った瞬間に成績が下がってしまいます。勉強の仕方のいろはも分からないし、何をどこまでやったら理解したと言えるのかも分からない。難しい問題があったらどういう対処をすればいいかも分からないし、何を熱心に取り組めば成績が向上するのかも分からない。そんな状況で高校へ送り出すなど、したくはないのです。
指導はシンプルです。分からないものは、一定時間考えても分からなきゃ解説と参考書を読む。それでも分からなきゃ人に聞く。そして、答えをしっかり写しながら理解をする。付箋でも貼っておいて、時間をおいて解くべきだ。分かるものは、すぐ徹底して何度も反復して自分の一部に取り込んでいく。いつでも自分のものになったと納得できれば定着したと思って先へ進む。それだけです。
よく勉強法について質問がありますが、分かることを反復すること以上に実力をつけることはないですし、分からないことはさっさと答えでも写して、理解できなきゃ参考書、人を利用できるだけする、分かるようになったら反復する、それだけじゃないですか。受験対策なんてそれに尽きるのです。
君たちは、君たちの学習のうち”人に聞く”という長時間調べるよりも、参考書に乗っている事柄以外のことも踏まえて余計なことまで喋ってくれながら具体的に分かるようにしてもらえる効率の良いことををしに塾に来ているのだし、それに付随するサービスとしてチェックテストや模試、解説があるだけです。
塾に、勉強しに来ている感覚なら詰んでいます。勉強は、家でやれば良いのです。一体この人は自分の身に着けたことに対して何を言ってくれるのか?と期待しながら通ってくれないと、私の知識も指導技術も廃れてしまいます。
”ただの消費者に成り下がって、与えてもらうものに満足するな。”
このメッセージが、ホワイトボードに込めたメッセージです。
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