「当たり前」の育て方。


 

当たり前、と言うのは、いつも

その個人個人の主観です。

 

時にそれは外から与えられるもので、

時にそれは内から生まれるものです。

正直どちらがいいということはありません。

むしろ大半の当たり前っていうのは

外から与えられることによって”初期設定”されます。

 

 

このように、苦を当たり前と思えば

楽になるという逆説の次元に至るには

相当な習慣化が必要でしょう。

そして、未来を見据える目を持つということが

大前提として必要になります。

”なる”というのは未来を示す述語なのです。

 

 

後回しにしたくなるほど嫌なことだって

きっとそれぞれにあると思いますが、

それを”当たり前”と言い切れる自分でありたいものです。

そのために、一歩先、二歩先を見据えながら

自分を客観的に見つめる目を持たなければなりません。

kojinkai

佐賀市の小中一貫学習塾 紅人会|kojinkai 公式ブログ