当たり前、と言うのは、いつも
その個人個人の主観です。
時にそれは外から与えられるもので、
時にそれは内から生まれるものです。
正直どちらがいいということはありません。
むしろ大半の当たり前っていうのは
外から与えられることによって”初期設定”されます。
このように、苦を当たり前と思えば
楽になるという逆説の次元に至るには
相当な習慣化が必要でしょう。
そして、未来を見据える目を持つということが
大前提として必要になります。
”なる”というのは未来を示す述語なのです。
後回しにしたくなるほど嫌なことだって
きっとそれぞれにあると思いますが、
それを”当たり前”と言い切れる自分でありたいものです。
そのために、一歩先、二歩先を見据えながら
自分を客観的に見つめる目を持たなければなりません。
0コメント