本日はイースターの日。
キリスト教にとっては
とても重要な日ですね。
私は洗礼も受けていない
ただ教会に通うだけの人ですが、
自らを殺すという愛によって
人の罪を受け止める姿に、
哲学的に学ぶところは大きく、
私もそうでありたいと
長く教会に通うごとに
思うようになりました。
死というのは、過去の自分を
断ち切り、新しい存在になることです。
それは、迷いへの決別を意味し、
その選択を信頼できるというのが
信仰の力なのだということを
以前よりはっきりと
わかるようになりました。
私も、色々な変化の中で
岐路に立っており、
この選択によって悩みも
するでしょうし、これから
もしかしたらそんな選択を
しなければよかったかもしれないと
思う日がくるかもしれません。
しかし、そんな日々すらも
与えられたものであると思えば、
自分の選択など些細なことであり、
真摯に尽くせば然るべき結果は
ついてくると確信しています。
子どもたちにおいても、
特に最近は幼稚園からの子も
学年に数名は混じるようになり、
当時から受け続けてきた価値観が
私の今の価値観と混じり合いながら
より良い方向に向いてゆくと
思っています。
関係ないですが、
今日は写真を撮りました。
松の木が素晴らしい枝ぶりで、
しかも曇っていた日だったので
加工なしでこんな写真が撮れました。
幾何学的で美しいです。
自然発生的に完成する
このような幾何学模様に、
私の未来を重ねます。
完成された人などいません。
そして、人は人との出会いにおいて
変化しうるものです。
出会いと変化。
成長なんていうのは
一方向のものですが、
変化は多様性に富んでいます。
そのような場所でいつも
あれるように、と
いつも思っています。
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