勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記あんきしている事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。
全文は、青空文庫にて。
太宰治は大分変わり者だし、
基本的に肯定しがたい、というところも
あるのですが、この言葉はまさに
学問の根本を語っているように
思います。
私の考え方自体はいつも
太宰治が書いたこの文章、
このような思考に基づいています。
頭がよいとかどうとかは
実際には社会に出て終えば
いくらでもカバーし得ますし、
得意なところを生かせば
よいだろうと思います。
しかし、学問は人格を作る、
というのは、あながち
間違いではありません。
多くを認め、理解する広い心が
養われた先にあるものを
見たいがために、
私はこの仕事をしているのかも
しれません。
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