うどん。


 

うどんがすごく好きなのです。

大学時代はラーメンマンと呼ばれるほど、

車を飛ばしていろんなところへラーメンを

食べに行ったものですが、それと同じくらい

うどんも食べに行きました。

 

うどんで一番好きなのはきつねうどん。

揚げのしみしみな感じがすごくいい。

次はかけうどん。

できるだけシンプルなうどんが好きです。

 

しかし、実を言うと私

うどん県として日本を代表する

香川県に、未だ行ったことがないのです・・

 

この夏は必ず香川県に行って

うどんをエンジョイしようと心に決めています。

 

まあ、ただの雑記です・・

 

ちなみに、wikipedia先生のページには、うどんの起源について

こう書かれています。

 

  • 奈良時代遣唐使によって中国から渡来した小麦粉の餡入りの団子菓子「混飩(こんとん)」に起源を求める説。青木正児の「饂飩の歴史」によれば、ワンタンに相当する中国語は「餛飩」(コントン)と書き、またこれを「餫飩」(ウントン、コントン)とも書き、これが同じ読み方の「温飩」(ウントン)という表記になり、これが「饂飩」(ウドン)となったという。
  • 平安時代空海が唐から饂飩を四国に伝えて讃岐うどんが誕生したという伝説。
  • 平安時代の989年、一条天皇春日大社へ詣でた際に「はくたく」を食べたという、藤原実資の日記「小右記」の記述から、うどんの発祥は奈良とする説。[2][3][4]
  • 仁治2年(1241年)に中国から帰国した円爾聖一国師)が製粉の技術を持ち帰り、「饂飩・蕎麦・饅頭」などの粉物食文化を広めたとする説。円爾が開いた福岡市承天寺境内には「饂飩蕎麦発祥之地」と記された石碑が建っている[5]
  • うどんは中国から渡来した切り麦(今の冷や麦)が日本で独自に進化したものであるという説。奥村彪生によれば、麵を加熱して付け汁で食する(うどんの)食べ方は中国には無く、日本平安時代の文献にあるコントンは肉のあんを小麦の皮で包んだもので、うどんとは別であり、うどんを表現する表記の文献初出は南北朝時代の「ウトム」であるという[6]
  • 南北朝時代末期の庭訓往来節用集などに「饂飩」「うとん」の語が現れる。江戸時代は「うどん」と「うんどん」の語が並存し、浮世絵に描かれた看板などに「うんとん」と書いてあることがよくあり、明治初期の辞書である「言海」は、うどんはうんどんの略とする。
  • 室町時代には一条兼良の著書『尺素往来』に、「索麺は熱蒸し、截麦は冷濯い」という記述があり、截麦(切麦)がうどんの前身と考える説もあるが、その太さがうどんより細く、冷やして食されていた事から、冷麦の原型とされている。切麦を温かくして食べる「温麦」と冷やして食べる「冷麦」は総じてうどんと呼ばれた[7]

 

う〜ん、わからん。

kojinkai

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