先日小学校6年生に行ったのは、日米修好通商条約を結ぶ経緯及び、内容についての授業でした。なぜ、あの5港だったのか。治外法権ってなんなのか。関税自主権っていうのが一体なんなのか。そもそも関税って何なのか。
その回は関税の話をするのに30分もかけて、具体例を出して説明をしました。昨今はTPP問題もありますし、最近気になるニュースにTPPを上げていた6年生もいましたから、その点も踏まえて関税というものを具体的に理解してほしいと願い、当初の予定よりも大幅に時間をとって説明をしたのでした。
そして、それは関税の話から、モノの価値の話や人の価値観の話へと移行していきます。人の価値選択によって、何が残り、何が消えていくのかが決定される、という話になっていきました。
「君たち、ファミレスって行くかね?」
「はい、たまに。」
「なぜかね。」
「君は、1000円のランチと500円のランチどっちを食べる?」
「500円かな?」
「なぜかね。」
「君たちは、なぜうちの塾に通っている?」
「先生の授業面白いから。」
「面白い授業は他でも聞ける。ちなみに、先生より面白い授業をできる先生が、多分いるだろうっていうのは、いつも先生自身が予感している。それを確かめたことはないけど、先生はいつも、自分が一番であるという自信はない。なぜうちなのかね。君たちが自分の目で確かめたことがないから、ということに過ぎないだけじゃないかね。」
もっと自分が選んでいるものへの理由を考えたほうがいい。周りがそうしている理由も、考えたほうがいい。いつもそう思って生徒に問いかける。それは、ある意味自身へプレッシャーをかけているという面もある。
問いかけて、考えて、まあ自分が選ばれなければショックだし、単なる人情で選ばれるのも癪にさわるから、とにかく自分が技術を高め、人間性を磨き、模範であり続けられるように生きるしかないということなのだけれど。
授業しながら、いつもいつも自分の生き方について考えている。
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