私にとっての塾。

私は、通塾は小4からスタートしました。
それまでは進研ゼミをしてましたが、
全く続かず、しかし、あの例の
漫画に触発されて辞めては申し込み、を
繰り返していました。

通塾をスタートしたのは、
新しく三根に塾ができるとのことで、
先生が家に訪問してきたのが
きっかけでした。

わたしには師匠がいました。
トミーと奥ちゃん。
英語の先生と数学の先生でした。
トミーも奥ちゃんも中学や高校の
教員志望で、教え方は上手かったので
私は信頼していました。

私は成績は良い方でしたが、
中学受験なんていうのは全く
意識もしておらず、
難しい問題を目の前にしたら
解決できず悔しすぎて泣くような
こともありましたが、
先生方は熱心に教えてくれました。
思い返せば、当時は算数の
特殊算もよく教えてはもらえず、
素人なりにゴリ押しで無理やり
答えに辿り着いてましたが、
よく解けたねって褒めてもらうたびに
次の問題も!と純粋に頑張れていました。

中学受験は結局、特に中堅私立に当時は
そんなに価値はなく、弘学館は強制的に
寮に入らねばならなかったので、
適当な学校もなく受験はしませんでした。

中学に入学してからも、
勉強は楽しかったです。
分からないことはなく、
塾も先生が新しいことを
教えてくれるので不満もなく
過ごしていました。

しかし、トミーは学校の先生になり、
奥ちゃんも学校の先生になり、
塾の先生は大きく入れ替わりました。

その後入った先生がキモすぎて、
私は即辞める決断を下します。
当時私はその塾では年間通して
ずっと1位をキープしてたので、
辞めさせたくない塾陣営が
面談を申し込んできます。

私は、管理を嫌います。
強制的な力で事を運ぼうとする
先生のあり方がムカついて、
やってられないと思った、
そして、たった生徒一人のその声に
平伏する担当の先生の軽薄さが
気に食わなかった、
それが、退塾理由でした。

その後は塾なしで高校入試を迎え、
高校生になってからも
通塾はしませんでした。
わたしには、トミーや奥ちゃんのような
先生はもう現れないだろうと
勝手に思っていたところも
あったのかもしれません。

転機が訪れたのは、
大学院の時です。

東京の中学受験指導に
携わったのですが、そのレベルの高さや
圧倒的なものがありました。

当時わたしが苦しんでいた難問を
いともたやすく解いてしまう子どもたち。
その先の発展問題に試行錯誤する
精神的に成熟した姿。
優れた指導がそこにありましたし、
わたしもこんな指導を受けたいと
心酔したのを覚えています。

佐賀に戻ることになったのは、
今の嫁さんと出会ったのがきっかけです。

どうせ戻るならば、
東京で受けたこの刺激、
知り得た指導方法を生かして、
中学受験指導をしてみたい、
そんな風に思うようになったのです。

2012年。

私は佐賀市の堀川町に
小さな塾を開きました。

当時はなかなか成果を出せず、
研究の日々が続きましたが、
今は弘学館、成穎特奨、清和特奨、
附属、致遠館など、様々な学校に
合格でき、公立に進んでも
上位を維持できる生徒を
多数抱える塾となりました。

しかし、私の原点は、
トミーと奥ちゃんであり、
東京で、生徒を泣くまで追い込みながら
全力投球してきた指導経験であり、
私の指導観は、自分が関わった生徒に
ずっと向き合い続ける
成長する講師であることです。

途中で先生が変わるなんてのは
ありえない。
私が全責任を負って
預かった生徒の結果を
引き受けてゆく事。
生徒は私の弟子なのです。

私にとって、塾は、
信頼する先生と目標を共にする場であり、
私の力量によって弟子はいくらでも
変化しうるので、私自身をも
磨く場だと思っています。

「世界を取り込んでゆく力を」

この理念を、改めて弟子たちには
読み返してもらいたいのです。
私はこれまでの人生において、
指導理念を一つにして、
技術を磨き続けてきました。

時には生意気でもいい。
意地を張ってもいい。
しかし、学ぶ目的は、
小さな学校で少しでも
順位を上げてゆくような
小さな話ではないのです。

自分が分かろうとする、
自分が解釈しようとする、
いつも一人称が自分である
学びを実現して欲しい!

いつもそんな子との出会いを
心待ちにしています。

私は変化してゆきます。
子どもも、変化する私に
ついてゆくどころか、
さらに大きく変化すべきです。

私は、全ての子が面白いと
思っています。

才能により、何に苦戦するとかしないとか、
そんなのはあるのでしょうが、
いつも戦うのは何のためなのかを
ハッキリさせて欲しいのです。

自分を超える?それは緩いのです。
周りの世界には全て意味があり、
それを捉えて自分を主体にして
思考できるような子であってほしい。

塾は、技術を教える場であるとともに、
指導者と考え方を共にして、
自分のあり方を考える場でもあると
思っています。

変化を恐れず、自分と向き合う。
逆に、これ以上のことは、
ほとんど望んではいないのです。

逆に言えば、そんなわずかなことを
内面化して欲しいだけなのです。

kojinkai

佐賀市の小中一貫学習塾 紅人会|kojinkai 公式ブログ